子供が不登校になって、
”なってよかった!素晴らしい体験をした!(してる)”とまでは思いませんが(全く)
得たものは沢山ありました。
①子供の苦手なことがわかった。
色んな検査をしたり、話を聞いてもらったりすることで子供の特性がわかったのと、苦手なことが明確になりました。
その結果、子供を叱ることが圧倒的に減りました。
(あ、そうか苦手だっけ、こういうこと)とわかってやれることで、
今まで頭ごなしに叱ってたのが、他の手段をためしたり、サポートしてやることができるようになりました。
叱ることが減っただけで、今も叱りますけど(苦笑)
ここでわからなかったら、ずっと叱られて自己肯定感?を育ててやれなかったと思っています。
②子供に向き合うことの大切さ
話す、よく見る、ことが大切だと改めてわかりました。
なんとなくやってるつもり・・・を改めました。
③私と子供は別
私、小・中と皆勤賞でした。(親がスパルタで、熱があろうがなんだろうが休ませてくれなかった)
なので子供が学校に行けなったとき、(どうしてこれぐらいで行けないの!?私は行ってた!)の思いが消えませんでした。
だけど、この子はこの子、私じゃないんだということに気づいて、自分と切り離して考えてやることができました。
どうしても自分の思う通りのレールに乗せがちですけどね。
子供の人生は子供の人生なんですよね。
④学校だけじゃないということ。
もちろん、学校に通えるならそこで学べばいいでしょうが、そうでなくなった場合、
私が考えている以上にいろんな選択肢があるということがわかりました。
もっと多様な学び方が選べるようになるといいですよね。
⑤助けてくれる人がたくさんいる。
自分が思っている以上に、たくさんの人が私の話に耳を傾け、アドバイスをくれたり、
親身になって手伝ってくれたり・・・実際に話してみると本当にみんな心配してくれました。
わが子がずっと繊細街道まっしぐらだったせいか、
不登校のことも、ほんとびっくりするくらいみんな納得してくれました(笑)
親は抱え込みがちですが、信頼できるところと場所でぶちまけるのは大切だと思います。
女はしゃべってストレス発散するものですから。
⑥まだまだ先があるってこと
学校行けない→落伍ではなく、まだまだこれから続いて行くっていうことをぼんやりながら見据えています。
このまま学校に行けないかもしれない。でも行けるようになってるかもしれない。
少なくても、また学校に行ってるかもしれない、集団生活に少し慣れてるかもしれない。
もしかしたら、このまま学校にはなじめないかもしれない。
まぁ、いいか、子供の年齢で言ったらまだ夜明けにもなってないんじゃないか。
どんな景色も一緒にみてやろう!と思っています。
きっと、これでよかったんだ、必要があって今の状態なんだと、やっと受け入れられるようになりました。
また、”気がする”に惑わされず、まっすぐ見つめてやりたいと思っています。
コメント